月夜語り

BY ゆうきゆうき




 ふと目が覚めた。
 いつもは暗い室内は、今宵はほんのりと月明かりに照らされている。
 ゆっくりと身を起こした私は、思いがけない訪問者の姿に気付き、驚きで目を見張る。いつの間に現れたのだろう。疑問を感じつつ私は訪問者に声をかけた。
「謁見の時間はとうに過ぎています。こんな時分に何の御用ですか?」
 ここは、カルムの街の中心部に位置する吟遊詩人の守護神、歌謡神カルムの神殿で、私はこの神殿の最高責任者だった。
「今宵は月の光があまりにも美しかったので、美しい音をききたくなりました」
 月の光がそのまま声になったような澄んだ声色で時ならぬ訪問者は目的を告げた。
「ウィムト・カルムの寝室へようこそ。美しい人」
 カルムの代理人たる身分を明かし、ベッドから立ち上がった私は小さな訪問者に対して膝を折った。
「ティタ・ベノールです。ウィムト・カルム」
 私の背丈の半分ほどの少女は、夜の王、闇神ベノールの眷族であることを示す名を名乗り、あどけない顔に似合わぬ婉然とした笑みを浮かべた。もちろん彼女は人ではなく、見かけ通りの年齢でも無い筈だ。そうでなければ、こんな時間に警備の厳重な私の部屋に辿り着ける筈がない。
 ほら、見るが良い。月明かりに煌々と照らされる室内に黒々と浮かぶのは私の影ばかり。月の光は彼女の姿がそこにないかのように何の抵抗もなく擦り抜けている。
「夜の姫、どうぞおかけください。どのような曲を御所望ですか?」
 私は夜の姫に最大限の敬意を払い、極上の竪琴を取り出した。普段あまり使われることのないその竪琴は確かめてみるといくらか外れた音を出したので私は念入りに調弦を行った。
 竪琴の丸みを帯びた共鳴板に淡い月の光が散っている。夜の訪問者は私の謁見用の椅子に深く腰掛け、私の仕草をじっと見守っていた。
 不意にさらりと小さな音がした。かすかに身じろぎした夜の姫の闇色の髪と薄絹がたてた音だった。
「ウィムト・カルム。朝日の歌を…」
 月光の声が陽光を望む。どの歌を歌うべきか…僅かな逡巡の後、私は選んだ曲の最初の一音を響かせるために、竪琴の44本の弦をかき鳴らした。
 かなり大きめで持ち運ぶには不便なこの竪琴はウィムト・カルムにのみ使用を許されるカルム神殿の宝だった。
 普通、吟遊詩人が弾く竪琴は各地を放浪する彼らの旅の邪魔にならないように、小さな10弦くらいのものが多い。私が普段使うのも放浪していた時代から愛用しているそんな竪琴だ。
 本来であれば儀式の際にしか使わないウィムト・カルムの竪琴は、22本の弦が二重に張られているので44本と弦の数も多く、共鳴板も大きくできている。そのため、扱いは難しいが複雑なメロディーと美しい音を奏でることができる。
「綺麗な音」
 竪琴の響きに訪問者の声が重なる。私は構わずにそのまま続けた。1フレーズの前奏の後、私は夜の姫の不興を買う可能性を考えながら「朝靄の騎士」を歌いはじめた。

朝靄包む城壁に佇む騎士の姿を見よ
こぼれた陽射しがその髪を揺らし
澄んだ瞳が朝焼けの朱に染まる

茜さす空を見据える騎士は勝利者なり
夜の王の甘美な誘惑に打ち勝ち
騎士は暁の空に立つ

夜の王は三度騎士に迫る
夜の王の吐息は甘く
夜の王の囁きは深く
夜の王の歌声は重く
夜の王の全てが
城を守る騎士を眠りに誘う

騎士は三度夜の王を退けた
その覇気 夜の王の吐息を散らし
その剣  闇夜を切り裂き
その祈り 朝日を呼び寄せる

我らは夜に勝利した
陽射しは柔らかに暖かく城壁を包む
誰一人欠けることなく
我らの朝がまた戻る

讃えよ 我らの朝を
讃えよ 暖かき陽光を

 私が一曲歌いきるまで、夜の姫は静かに耳を傾けていた。曲の最後の響きが月光の中に染み入るように消えていき、私はそこで一つ溜息をついた。知らず知らずのうちに汗をかいていた。
「綺麗な…けれど、憎たらしい歌」
 決して朝日にまみえることのない月光は呟いた。
「お前はそんなに夜が恐ろしいのですか?」
「夜の姫、我々人の子にとって、夜はとても過ごしにくい時間なのです。我々は夜の人々のように夜目もききません」
 たとえ、ここで夜の姫の不興を買い、呪いをかけられたとしても私は「朝靄の騎士」を歌ったことを決して後悔しないだろう。恐ろしい夜が明け、朝の光が射す瞬間を歌った「朝靄の騎士」は夜の姫が望んだ朝日の歌の中で一番美しく優れた曲だ。ウィムト・カルムとして、それ以外の曲を選ぶことは考えられなかった。
「人の子は本当に不便な生き物だわ。けれど、とても面白い」
 夜の姫は目を細め、微笑み、私に提案をもちかけてきた。
「ウィムト・カルム。一つ取引をしませんか?」
「取引?」
 私は気を引き締め、夜の姫の次の言葉を待った。夜の眷族との取引にうかつに乗ってはいけないことを私は知っていた。
「ウィムト・カルム、我々の楽士になりませんか?我々の楽士になるのならば、あなたに永遠の命を与えましょう」
 私は慎重に答えるべき言葉を探したが、うまい言葉を思いつくことができなかった。しかし、かわりにある曲のことを思い出し、私は夜の姫に答えずそのまま竪琴を弾きはじめる。

闇の王の誘いを受けし者の悲しき物語を我は語らん

 最初のフレーズを歌い切る。夜の姫の表情は窺えない。私はそのまま歌を続けた。この歌では闇の王と称されているのはもちろん夜の王と同じく闇神ベノールのことだ。

それは世にも美しく踊る者
ピケラ神の加護を受けた代理人なり

闇の王は神殿に闇の乙女を遣わした
月の美しい夜
美しき闇の乙女がウィムト・ピケラを訪れる

ウィムト・ピケラの不安は踊れなくなる身体
ウィムト・ピケラの不安は動かなくなる身体
世にも美しく踊れなくなる日をウィムト・ピケラは恐れていた

闇の乙女の誘惑は限りなく甘い
ウィムト・ピケラが得るものは死なず老いることのない身体
ウィムト・ピケラが得るものは永遠に踊ることができる身体

契約は結ばれた
ウィムト・ピケラは闇の城で舞う

ウィムト・ピケラが得たものは死なず老いることのない身体
ウィムト・ピケラが得たものは永遠に踊ることができる身体
ウィムト・ピケラが得たものはやめたくてもやめられない永遠の踊り
ウィムト・ピケラが得たものは二度と戻れぬ片道の旅路
ウィムト・ピケラが得たものは全ての人の子との別れなり

彼は生きながら死せる者
誰も彼の行方を知らぬ
誰も彼を思い出さぬ

もはや、誰も彼を知らぬ
悲しきウィムト・ピケラの物語を
知る者はもはや誰もいない
そう…ただ、この歌を除いて

 一気に歌い終えて、私は竪琴を置いた。今度こそ、夜の姫の不興を買っても不思議ではなかった。私はじっと夜の姫を見つめ、彼女の行動を待った。
「驚いたわ。まさか我らの城の舞手のことを知っているとは」
 夜の姫は少し驚いた様子でそう言った。
「人の子は知る筈もないと思っていました」
「ウィムト・カルムの歌は真実を語ります」
 私はそう答えた。この歌は元々先代のウィムト・カルムに教わったものだった。これは本当の話だと彼は私に念を押していた。闇の眷族には気を付けるようにと。芸術好きな彼らの誘惑は魅力的だが人の子には破滅への導きにしかならないと。
「歌は真実を語る…か。ウィムト・カルム、気に入ったわ」
 夜の姫…闇の乙女は高らかに笑った。
「お前には私の真の名を教えましょう。契約を結びたくなったら、いつでもその名を唱えるが良い」
 聞いてはいけない。私はそう思った。今の私は決して闇の城に赴こうとは思わない。しかし、竪琴を奏でる指が次第に動かなくなり、この声が出なくなっていくその時、私が悲しきウィムト・ピケラと同じ選択をしないとは限らない。闇の眷族の真の名を知っていれば、その時私は彼らを呼び寄せてしまうことだろう。
 私は先代のウィムト・カルムの忠告を思い出す。闇の眷族が真の名を名乗るのは、人の子一人に対して一回限り。この一回を聞かずにいれば私は永遠に闇の眷族の誘惑から逃れることができる…。
「私の真の名は…」
 月光の声が闇を震わす。
「カルム神、御加護を!」
 私は同時に声を限りに叫び、寝室の銅鑼を力一杯叩いた。部屋中に響いた銅鑼の音は夜の姫の言葉をかき消し、彼女の真の名は私の耳に届かなかった。
「なんて憎たらしい男!」
 夜の姫の表情が一瞬恐ろしく歪み、しかしそのまま穏やかなあどけない少女の表情に戻った。
「なんて知恵のある男。ウィムト・カルムの全ての知恵は歌によって伝わるというのは本当ね」
 夜の姫は静かにそう言った。
「そろそろ夜も明ける。私の時間はもう終わるわ。お前の歌に合わせて踊るウィムト・ピケラの舞いを見たかったのに」
 残念そうにそう言うと、夜の乙女は私の椅子から立ち上がった。
「お前が闇の城に来ないのは残念だけれど、今宵の歌のことは忘れないわ」
 とても怖ろしい、けれど芸術を愛する闇の眷族の少女は微笑んだ。私はその笑顔を忘れることはないと思った。
「とても綺麗な歌でした」
 来た時と同じようにいつの間にか夜の姫は姿を消していた。

 もし、私が夜の姫の取引に応じていたならば、私はあのウィムト・ピケラと同じように誰にも知られぬまま、闇の城で永遠を過ごすことになっていただろう。あのように竪琴をかき鳴らし、歌を歌い、力の限り叩いた銅鑼の音にも神殿の誰も起きてこなかったのだから。
 夜の姫と私が過ごした時間と空間には私達人の子の及ばない力が加えられていた。夜の姫の取引に応じていたならば、私はそこには最初から誰もいなかったかのように忽然とそこから姿を消していたことだろう。
 美しい月夜の晩は用心しておいた方が良い。闇よりの使者に惑わされ、人の子の暮らしを永遠に失わぬように・・・。

【FIN】

1997.5.08 finished

[優子の部屋 HOME] [ライブラリYUKO] [オリジナル小説の部屋]

ご感想・ご意見はこちらまで
平田優子E-mail Address:yuko-h@sannet.ne.jp
小説作品の感想送信用フォームもどうぞご利用ください