クリストファー


BY 如月星羅


「先程お話した物件がこちらです。いかがでしょう?」
 不動産屋が僕の顔色を窺いながら問い掛けてきた。僕は今まで働いていた弁護士事務所を辞め、独立するために、事務所となる売家を探していたのだ。
 不動産屋と一緒に幾つも売家を見て回っていた僕は、5軒目にしてやっと気に入った物件を見付けることができた。
「契約しよう。ここがいい」
 不動産屋は鞄の中から契約の書類を取り出す。僕は迷わず書類に判を押した。ローンの返済は苦しいけれど、ここが僕の事務所になるんだ。今日が僕の独立記念日だ。
 その時、とても浮かれていた僕は、その売家の不自然に安い値段をまったく気に留めていなかった。

 異変に気付いたのは引っ越してから3日目の夜。僕は2階建てのこの家を1階は事務所、2階は住居として使おうと決めていた。引っ越しの片付けが終わるとどっと疲れが出て、僕はぐっすり眠り込んでしまった。
「クリストファー…クリストファー…」
 誰かが耳元で僕の名を呼んでいる。僕はぼんやりと目を覚ます。
「ずっとあなたを待ってたの…クリストファー」
「わあぁっ」
 ベッドサイドに女の人が立っている。その女の人の体を通して向こうの本棚が見えた。この人…人間じゃない。
「あなた…誰ですか?」
「キャサリンよ」
 幽霊(ゴースト)だ。初めて見た。キャサリンと名乗ったゴーストは絶世の美女だった。
「僕を待っていたって?」
「そうよ。この家はあなたと私の家。ずっとあなたを待ってたの」
 流れる金髪。透き通る肌。海よりも深い青の瞳。僕は魅入られたようにキャサリンの方へ腕を伸ばした。僕の指が実体がない筈のキャサリンに触れる。
「クリストファー…ずっと会いたかったの」
 僕の耳元で囁かれたキャサリンの声がこの世で聞いた最後のものになった。

「あんたは騙されたのさ。キャサリン・スーに」
 次に目を覚ますと、側にいた老婆が僕に話しかけてきた。
「騙された?」
「そう、自分の体を良く見てごらん」
 老婆の言葉。自分の体に目を向けた僕は悲鳴を上げた。僕の体がキャサリンと同じように透けている。
「あんたはあの悪霊、キャサリン・スーに生気を吸い取られて死んだのさ。安い買い物はするもんじゃないね」
 そう言われて初めて、僕はあの売家が不自然に安かったことを思い出した。
 あの家にはゴーストが住んでいた…だからあんなに値段が安かったのか。
「前途ある人間だったのに、可哀相だねぇ」
 親切そうだった老婆の顔がぐにゃりと歪んだ。ゾッとするような微笑み。
「あなたは…誰なんですか?」
「死神さ」
 老婆の手に握られていた鎌が光る。助けてくれ!僕は絶望の悲鳴を上げた。

「あなた…あなた。どうしたの?」
 目を覚ますと僕はベッドの中、パジャマがぐっしょりと汗で濡れていた。
「どうかなさったの?」
 心配そうに僕の顔を覗き込むのは妻のキャサリンだ。
「ちょっと悪い夢を見ただけさ。起こしてしまって悪かったね」
 僕は再び眠りについた。愛するキャサリンを抱き締めながら…。

「この物件はまた売れ残りだ。幽霊屋敷なんて言われては信用もがた落ち」
 売家の書類を整理しながら不動産屋は溜息をついた。
「引っ越して3日目に心臓発作を起こして死んでしまうなんてねぇ」
 クリストファーが死んでから、夜毎に若い男女のゴーストが出ると言うのだ。
「あの…家を買いたいんですが…」
 来客だ。不動産屋は笑みを浮かべて立ち上がる。
「どの様な家をお探しですか?こちらなどなかなか良い物件ですよ」
不動産屋は先程まで眺めていた書類を客に手渡した。
「へえ、なかなか条件がいいですね」
「ご案内致します。このすぐ近くですから」
 そして、2人があの売家に入って行くのを遠くから眺めている者がいた。
「キャサリン・スーの獲物がまた来たようだね。一仕事ありそうだ」
 老婆の姿をした死神は大鎌を研ぐための砥石を取り出して、不気味な顔でニヤリと微笑んだのだった。

【FIN】

1991.6.5 finished
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