Moonage Daydreamer


BY 如月星羅


 僕は月で生まれた。

 僕達の先祖が住んでいた地球は、僕の生まれる数百年以上前に、著しい大気汚染によって生命の存在できない惑星(ほし)に変わっていた。人類は汚れた地球を捨て、月へ逃れてきたのだ。
 地球よりもずっと小さなこの衛星(ほし)に移住する際、人類は必要最低限の物しか持って来る事ができなかったそうだ。人類の少ない荷物の大部分は生命を維持するために必要な実用的なものだった。だから、人類の豊かな文化遺産のほとんどは今でも、あの惑星にそのまま残されているのだ。

「ピアノか…。一体どんな音がするんだろう」
 子供の頃何度も見に行った、地球博物館。それは月に持って来る事のできなかった地球上の様々な物のマイクロフィルムを自由に閲覧できるようになっている場所だ。
 僕が見た数多くの写真の中で最も僕の興味を引いたのは『ピアノ』と言う名前の楽器の写真だった。
 ただ、音を出すということのためだけに作られた美しい道具。地球に残された人類の遺産。一体どんな音を出すのだろう。地球では、音楽を奏でるためにこれだけの大きさのものを置く事ができたのだ。
「月(ここ)にはそんな余裕はない」
 人類がただ生きていくだけで精一杯の小さな月。人々の心にも、月の限られた土地にも、もう余裕はない。
「地球に行ってみたい」
 僕は思った・・・。

 今でも、あの惑星には数百年前に人類が捨てた全てが残っていると言う。もちろん、大気もあの時のまま…生命が存在できないくらい酷く汚れている。人類は取り返しのつかない程地球を汚してしまった。あの惑星にもう未来は来ないのだろうか?
「そんなことない。大気を汚してしまったなら、もう一度生まれ変わらせればいい。大気を活性化させればいいんだ」
 僕は大学院に進み、地球の大気を活性化する研究に打ち込んだ。この数百年の間、何人もの科学者が挑んだけれど誰一人として成功しなかった研究だ。誰もが無理だと笑ったが、それでも僕は諦めなかった。
「夢を見るのはやめろ。地球はもう、何をやっても蘇らないんだ」
「地球は必ず蘇る。あの惑星にも必ず新しい明日が来る」
 研究を続けて数十年。地球の大気に変化が起こった。少しずつではあるが汚染された大気が蘇ってゆく。
「あなたは天才だ。誰もが諦めていたのに。私たち人類が地球に戻れる日が来るなんて…」
「僕は天才なんかじゃない。僕はただ…」
 ピアノの音を聞いてみたい。そんな情熱が僕を動かしただけだ。
 いつでも夢を見ていた。地球に残されたあの美しいピアノを弾くことができる日を…。
 地球の大気に変化が起こってから、さらに数十年後。僕はやっと、憧れの地球の地を踏むことができた。
 地球に下り立った僕は、青い空を感激しながら見つめ、真っ先にピアノを捜しに行った。あの美しい楽器は、まだ無事でこの惑星に残っているのだろうか。
「やっと見付けた。ピアノだ。これが…ピアノなんだ」
 ほとんど廃墟となった街の中に、ピアノがあった。黒いピアノは埃にまみれていた。僕は、洋服の袖でその埃を払う。恐る恐る手を伸ばし、震える指で鍵盤を押した。ぽーんと澄んだ音が響く。
「これが…ピアノの音。ああ、想像していた通りの綺麗な音だ」
 もちろん、数百年の時を越えたピアノの音階は狂ってしまっていた。でも、ピアノの奏でる個々の音はとても素晴らしかった。月にはこんな音を出すものはない。それは胸がきゅんとなるようなとても美しい音色だった。
「これから…未来の地球は再び発展するだろう。僕は、地球の新しい明日を作ったんだ。ピアノに導かれて…」
 そんな事を考えながら、ずっと夢に見ていた青い地球で、僕はピアノを弾き続けていた。

 再び発展した地球の月時代(Moonage)博物館には彼が弾いたピアノが展示され、そのピアノの前にはこんな表示がある。

『私たち人類が再び地球に戻ってこれたのは、ある一人の博士のお陰なのです。誰もが諦めていた地球の大気の活性化を成し遂げたのは、博士のピアノへの情熱でした』

 一人の月時代の夢想家がこの惑星の新しい明日を造り上げたのである。

【FIN】

1991.10.26 finished
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