Eyes of Venus


BY 如月星羅


『いらっしゃいませ。私のギャラリーへようこそ。ここに展示してある美術品は、どれも無名の作家によるものですが、全て曰く付きのものなのです。お客様が興味をお持ちになった作品にまつわる逸話をお話いたしますよ。はい、そのブロンズの女神像でございますか?お買い上げなさりたいとおっしゃるのですね。その女神像はルネサンスの後期に作られたものですが、その制作時の逸話が残されております。お聞きになりますか?わかりました。では、その逸話をお話しいたしましょう』

 僕は、ある貴族から女神像の制作を依頼された。それは僕にとって、決して逃すことのできないチャンスだった。今は、芸術家として全く無名の存在である僕だけれど、その依頼に対して最高の女神像を作ることができれば、僕の名はきっと広く知られるようになるだろう。それは僕の積年の夢である。
 僕は、最高の女神像を作ろうと頑張った。モデルは、僕の最愛の恋人ルクレチア。優しく、そして女神のように気高く美しい彼女は、女神像のモデルとしては最高の人材だった。僕のために彼女も最大級の協力を惜しまなかった。彼女は何十時間もじっと動かず、モデルの役を果たしてくれた。微笑を浮かべる彼女の、黒目がちな濡れた瞳はいつでも僕を見つめていた。あの瞳が励ましてくれなかったら、僕は女神像を完成することはできなかったかもしれない。完成した作品は、僕としては最高の出来だった。今にも動き出し そうな美しい女神像は、きっと依頼主にも気に入ってもらえると思っていた。
 しかし、僕の作品を見た貴族は言ったのだ。
「この女神像には命が入っていない。これでは、ただの女神の抜け殻にすぎない」と。
しかし、貴族は僕にもう一度チャンスをくれた。
「今度こそ命の入った女神像を作れ」と。
 どうすればいい?僕は苦悩した。完成させた女神像は僕の持てる力の全てを注ぎ込んだものだ。僕にはあれ以上のものを作ることはできない。どうすれば、女神像に命を吹き込むことができるのか。駄目だ、僕にはできない。
 夢を諦めかけ、自暴自棄になった僕を、彼女は励ましてくれた。何も言わず、じっと僕を見つめる彼女の瞳に、僕はやる気を取り戻した。
 けれども、やはり、作品の出来は思わしくなかった。作り直した女神像は素晴らしい出来ではあった。しかし、あの貴族はきっと、やはり命が入っていないと言うだろう。僕は女神像とモデルになったルクレチアを何度も見比べた。命の入っていない女神像と、彼女。どこに違いがあるのか?不安そうな表情のルクレチアを見た時、僕は悟った。
 瞳だ。僕の作品の瞳は死んでいる。ルクレチアの瞳は彼女の命の証し。様々な表情を見せ、揺れ動く。その瞳の魅力を表現できない限り、僕の女神像に命は入らないのだ。
 しかし、僕の技量では、ルクレチアの生き生きとした瞳をブロンズで作り上げることはできなかった。でも、夢を諦めたくない。多くの人々に僕の作品を見て欲しい。僕の名前を知って欲しい。
 そして、ついに僕は女神像を完成させた。きっと、あの貴族も認めてくれる命を入った女神像を。僕の目の前の女神像は、ルクレチアのように美しい瞳で僕を見ている。
 でも、ルクレチアの瞳はもう僕を見ることはないのだ。僕は女神像の完成のために、取り返しのつかない犠牲を払ってしまった。どうしても命の入った女神の瞳を作ることのできなかった僕は、ルクレチアの命を女神像に閉じ込めてしまった。女神像を作るために、ルクレチアを石膏で塗り込めて…ブロンズ像の型にしてしまったんだ。僕の夢のためだからと、彼女は笑って死んでいった。優しく微笑む女神像の表情は彼女のデスマスクだ。僕は、自分の夢のために彼女を殺してしまったのだ。
 完成した女神像の瞳が僕を見ている。それは愛しいルクレチアの瞳。僕は吸い寄せられるように彼女を抱き締め、口付けた。しかし、唇に触れるのは冷たいブロンズ。彼女の暖かい唇ではない。僕の愛していたルクレチアはもういない。僕は取り返しのつかないことをしてしまった。彼女がいなければ有名になったとしても意味がないという事に、僕は…気付くのが遅すぎた。

『これがこの女神像にまつわる逸話です。結局、大きな犠牲を払いながらもこの作者は無名のままでしたが、そういうことは良くあるものです。おや、お客様、お買い上げにならないのですか。お話はお気に召しませんでしたかそうですか、残念です。またのお越しをお待ちしております。では……』

【FIN】

1992.3.1 finished
[優子の部屋 HOME] [ライブラリYUKO] [TMNイメージ小説の部屋]

ご感想・ご意見はこちらまで
平田優子E-mail Address:yuko-h@sannet.ne.jp
小説作品の感想送信用フォームもどうぞご利用ください