■ 大和但馬屋 日記 ■

■ 2001年 1月分

■ 1月3日 ■  第5話,の巻

 やあみんな,インパクにはもう行ったかな? 見たら感想教えてね(はあと

 ↑ジブンデミロヨ。つーか年始の挨拶がこれかい。さて,世紀をまたいではみたものの,淡々と続けてみる。


 32ビットのゲームマシンがどういう背景の元に登場したかという話を始めると,脱線しすぎてわけがわからなくなるので詳細は省く。大ざっぱなところは前回の引きでやや煽り気味に書いたとおりだ。そういえばそれらにやや先んじて 3DO REAL とか NEOGEO,FM-TOWNS Marty なんてのもあったが無視だ無視。コントローラによほど独自性を持っていたならともかく,どれもそのレベルにない。同様の理由で,前回の煽りにあった NEC の PC-FX も黙殺することにする。てーかどんなコントローラだったかまったく記憶にないんですけど。


 さて,まず世に出たのはご存じセガサターン。

セガサターンのコントローラ

 前回のメガドライブ2のコントローラと見比べればそのコンセプトは一目瞭然。好評だった十字ボタン部分は部品レベルで同じものを採用,A/B/C/X/Y/Z の6つのボタンも寸法と配列に気付かない程度のわずかな違いはあるものの,基本的に差異はない。

 まったく活用されなかった MODE ボタンを廃止して,スーパーファミコンに類似した L/R ボタンを設けたのが最も目立つ変更点だ。また,外形はやや大振りになったように見えるが,実際に重ねてみるとそれほどでもない。むしろ MD2 の方が実際よりもコンパクトに見えるデザインだったということのようだ。

プレステのコントローラ

 やや遅れて登場したソニーのおなじみプレイステーション。

 こちらのコンセプトもわかりやすい。パテントの都合上,十字型にできなかったために×型の切り込みを入れた操作ボタン。AB表記のかわりに記号で表現された4つのボタン群。もはや常識となりつつある L/R ボタンはそれぞれ上下2段に分かれて計4つ配置されている。中央部には SELECT/START ボタンがある。

 さて,両者が何を目指したか,あらためて図を眺めながら考えてみて欲しい。それは結果的に,というより結果論ではあるが,両者の勢力争いの行く末をはっきりと物語るものとなった。ボタンの数は奇しくもともに8つ。しかし,見た目の印象はまったく異なっている。

 セガのコントローラは,昔から何も変わっていない。外見の流行り廃りやパーツの精度の良し悪しはあっても,通底しているものは「アーケードゲームのコンパネを家庭に持ち込むこと」で一貫している。時代に合わせてボタンの数が増えてきたものの,考え方は変わっていないのだ。

 セガがアーケード業界では最大手企業であり,かつ家庭用ハードを供給しているという立場であるかぎり,この考えが必ずしも間違っているとは言い切れない。対するソニーはゲーム業界デビューの新人だ。ソフトウェア面での立ち上げに際してナムコの強力な支援を得られたのは幸いだったが,ではハード面で何をもってアピールをすべきか。

 事実がどうであったかはともかく,コントローラを通して見えるソニーの目指すものは明らかだ。「スーパーファミコンからのスムーズな移行」。最大シェアを誇る SFC のユーザー層に抵抗感を覚えさせないこと。これに尽きる。

 サターンのコントローラについてはもはや今までに語った内容以上のものはない。良くも悪くもキープコンセプトだからだ。そこで以下に PS コントローラについて触れることにする。なんか文体がヘンだな。


 全体的な大きさはいかにもソニーらしくきわめてコンパクトだ。しかしこれまたソニーらしく,コンパクト指向が勝ちすぎてやや扱いづらいデザインであるともいえる。十字ボタン,右側の4ボタン,L1/L2,R1/R2 ボタンをすべて使用するという前提でコントローラを構えてみるとわかるが,ボタンを押すために両手の指を3本ずつ構えなくてはならない。となるとコントローラのホールドに使えるのは薬指と小指だけで,そのためにコントローラ左右手前に握り棒が付いているのが外見的な特徴にもなっている。この,中指を支えに使えないポジションというのが思いのほか扱いづらいのだ。

 ヘッドホンステレオのリモコンなどを見てもわかるが,機能をコンパクトにまとめる技術はソニーの得意とするところ。しかしスティック状のリモコンの両側にボタンがあるために,狙ったボタン「だけ」を押すのが困難であったりすることも多く,あまり機能的とはいえない。少なくとも「機能的」という言葉の解釈がソニーと自分とでは異なるようで,同じ違和感をプレイステーションのコントローラにも感じる。

 ボタン配置に目を移す。変形十字ボタンは,任天堂が十字型のボタンの特許だったか実用新案だったかを押さえているために形を真似られなかったための苦肉の策だ。押し心地はやや固めで斜め方向の入力に若干の難がある。それでも斜め方向にしか入らないよりははるかにマシというものだ。

 右側の4つのボタンは従来の A/B 表記のかわりに○×△□という記号で表記されている。SFC のコントローラと見比べればわかるが,Aボタンの位置に○ボタン,Bボタンの位置に×ボタンを配しており,ファミコン以来の伝統を踏襲している。「○−決定/×−キャンセル」というのは機能的に美しい。

 ○×に比べて意味性に乏しい△と□は仮に位置が入れ替わっていたとしてもさほど問題はなさそうだ。おそらく,上向きの△の位置を上側に持ってきたという程度のものだろう。画面で「□ボタンを押せ」と指示されてもどれのことか咄嗟にわからなくなったという弊害もなくはない。4つに増えた L/R ボタンは,前述の持ちにくさの問題に寄与していること以外に,背面にあるためにどちらがどちらというのが分かりにくいという問題も抱えている。

 総じて,SFC の時に論じたボタンの意味性の均質化がより顕著になっている印象の強いコントローラだ。○×の意味づけは秀逸だと思うのだが。


 PS に対して少々辛い評価になってしまったが,基本的には前述の通り,SFC を踏襲したボタン配置である。別にコントローラがこうだったからというわけでもなかろうが,結果的に PS が市場を制したのは周知の通り。セガのコントローラが一見して「格闘ゲーム向け」に見えるのは仕方のないところで,それがアーケードゲームに興味のない層にとっては余計な敷居の高さとして映ったのかもしれない。

 いずれにせよ,一時代を築いた PS と SS によって,コントローラも一応の成熟を迎えたように思われる。両者とも結局は「以前からあるコントローラに L/R ボタンを1セット増やしただけ」というのが面白いところだ。

 今にして思えば,当時はポリゴンを用いた 3D の表現をゲームに応用することに精一杯で,ゲームの操作系の革新といったところには気が回らなかったのだろう。「見た目が 3D になっただけでゲーム内容は昔と全然変わらない」という揶揄があるのももっともな話だ。

 しかし,それだけではいずれ飽きられる。そこでゲームが次に求めたのは 3DCG が本来持つ「空間」をゲームの中に取り込むことだった。それを実現するには従来のコントローラでは役者不足というもの。

 そこへ現れたのが,32ビットCD-ROM機の競争には目もくれなかった前代の覇者任天堂だった。てなところで続く。

■ 1月7日 ■  第6話,の巻

 まずは余談から。

 年末にハリウッド製ガンダムであるところの「G-SAVIOUR」が放映されたので,例のイベント絡みで泊まりに来ていたK氏と観た。実写ガンダムとしてみた場合,モビルスーツ戦の映像表現は個人的には悪くないと思った。コロニー内部はちょっとスケール感がおかしかったけどね。見かけの直径が1kmくらいしかなさそーだし。そんなんではたぶん普通には暮らせないと思う。オニール計画の6kmってのが,たぶん最低ラインなんでは?

 それはさておき,ストーリーがどうにもこうにも‥‥ ガンダムとしてどうかはこのさい捨て置くとしても,敵側のバカさ加減が目に余る。

 それから日本語吹替えの配役がどうしようもない。この手の特番とか有名映画のTV放映ではよくあることだが,そもそも俳優として出来てすらいない人間を話題集めのために主役周辺に配置するのはやめてほしい,本当に。そんなことで作品の値打ちをわざわざ下げなくてもいいのに。

 あと,ガンダムファンならみな同じツッコミをするところだと思うが,味方のコロニーの指導者が最後に行った演説。つーかなんでアメリカ映画は最後に大統領が演説しますか? それはさておいて。

 なんか,演説の内容がギレン・ザビそのままなんですけどー? 演説の最後に「ジーク・ジオン!」て叫びたくなりましたよホント。ああそうか,アメリカ製だから最後は独立宣言で終わるわけね。


 余談ついでにもうひとつ。連載やってるおかげで取りこぼしてるネタ多いからなぁ。

 「ゆりかごから墓場まで」とか「A to Z」とかのように,あらゆるものを網羅していることをアピールするのに「〜から〜まで」的言い回しが使われることは多いが,WEBを彷徨っていて目にしたとある新刊書の名前。

『海洋動物の毒 フグからイソギンチャクまで』。

 フグに始まりイソギンチャクに至る過程にいったいどれほどの海洋動物が含まれているのか,アナタにはイメージできますか? ワタシにはできませんごめんなさい。

 ゴンズイとかオコゼとかクラゲとかなんとかいろいろあるんだろうけど,ね。言い回しとして果たしてどうか。

 さて本題。


 例によって当時の市場的な事情にまでは詳しく踏み込まない。ただ事実として,'96年にはスーパーファミコンが性能的にもゲーム内容的にも見劣りのするハードとなっており,市場は縮小する一方だったことは確かだ。すでに「ポケモン」はブームになりつつあったが,やはり任天堂としてもゲームボーイだけに頼るわけにはいかない。

 そこで先行したソニーとセガの両機種に対抗するために任天堂が投入したのがニンテンドウ64だった。CPUのアーキテクチャは名が示すとおりの64ビット。対抗機との差別化を狙ったというより SFC 以来のライセンシーを守るために採用されたであろう ROM カートリッジによるソフトウェア供給。

 そして,もっとも特徴的だったのがそのコントローラだった。

N64のコントローラ

 ついに裏面図まで必要になってしまった。当初からわかっていたことだが,だんだん図に起こすのが面倒になってくるなぁ。

 最大のウリは,家庭用ゲーム機としては初めてアナログジョイスティックを標準で採用したことである。この「3Dスティック(さんでぃーすてぃっく)」は,大胆にもコントローラ中央に配置されている。従来型の十字ボタンは左側に,そして A/B/C ボタンが右側にあり,L/Rボタンも備えられている。さらに,裏側中央には Zトリガーがあるが,これは真ん中のグリップを握るとちょうど人差し指の位置にくるようになっていて,まさにトリガーと呼ぶに相応しい。また,裏側にはメモリユニットや振動パックなどの機能拡張用のスロットが設けられている。


 先にボタン配置について触れておこう。見るからに今までとは変えてきたコントローラだが,このボタン配置は非常に興味深い。

 まず,A/Bボタンの扱いだ。右側(外側)にAボタン,左側にBボタンという配置はファミコン以来の伝統を踏襲している。しかし配置的にはスーパーファミコンのYボタンとBボタンの位置関係に近い。右手親指の先でBボタンを,腹でAボタンを押すことができて合理的だ。その右上にはCボタンユニットなる4つのボタンが配置されている。上下左右の三角印が刻印され,いかにも方向性が意識されたボタン群だ。

 スーパーファミコンでは4つのボタンに方向性を見て取るのはあくまでゲームデザイナーの裁量に任されていたが,これにははっきりと「そう見ろ」という意識を感じる。ボタンのひとつひとつはA/Bボタンよりも小ぶりで,あきらかに扱いが違うこともわかる。さらに配置だけ見れば,セガサターンのような6つのボタンと見て取ることも可能だ。

 ボタンの数は最多となったが,あるていど自由を残しながらもそれぞれに意味づけを行っているために無駄がない。ゲーム製作者もボタン割り当てに困ることはなくなるだろう。むしろこのコントローラあわせてゲームの仕様を決定しなくてはならないくらい強烈なメッセージがこのデザインには込められている。

 難を言えば,それぞれのボタンの間隔が狭すぎるように思われる。特にCボタンユニットの左と下は,A/Bボタンを誤って押してしまうくらい窮屈だ。


 その他の部分も見てみる。

 このコントローラを初見で手に持とうとしたらどうするだろう? たいてい,従来のコントローラと同様に左右両側を手で掴もうとするに違いない。十字ボタンを使う場合には当然それで構わないが,これでは3Dスティックを使えない。

 3Dスティックを使う場合は,中央のグリップを握るように持つ。握りやすいグリップのため,これだけでコントローラをしっかりホールドすることができる。ゲームによって右手か左手かは異なるが,右側に重要なボタン群が集まっているため3Dスティックは左手で使うのが基本だ。

 この3Dスティック,ストロークもバネの重さも申し分ない。余計な遊びがなく精度も高いので,微妙な操作も思いのままに行える。ゲーム機に標準で付いてくるコントローラはまさしくこうでなくてはならない。これに比べれば,メガドラ2やサターンを除いたセガのハードなどはユーザーに「遊ぶな」と言っているようなものだ。

 欠点があるとすれば左端の十字ボタン。パーツはSFCと共通だが,ボディ側が抉られているためにSFCよりもボタンの厚みが相対的に増している。このせいかどうかはわからないが,SFCに比べると若干斜め方向への誤入力が起きやすくなっているようだ。ことほど左様に設計というのは繊細で難しい。

 「ゲームが変わる」というキャッチコピーを体現するように,このコントローラには強烈なメッセージが込められている。それをダイレクトに伝えるために,本体と同時に「スーパーマリオ64」や「パイロットウイングス64」などのゲームをリリースして,プレイヤーのみならず同業他社にまで「このコントローラはこう使え」と示してみせるその手並みは,スーパーファミコン譲りとはいえじつに見事なものだった。

 しかし,現実は厳しい。


 N64に賭ける任天堂の意気込みは相当なものだったろう。本体の性能にも,リリースされたソフトにもそれは現れている。そして,たぶん最も端的にそれが現れたのがコントローラだった。何もかもが今までと違う。確かに面白そうだ。でも。

 結局のところ,敷居が高すぎたのだ。

 ゲームは元来抽象性の高い娯楽だった。現実を切り取るにしても,最初はシンプルにモデル化するしか手がなかったし,得られる楽しさもそれはそれで純化されていて問題はなかった。

 要するに,高度な戦術シミュレーションでなくても将棋で充分ということだ。戦場をたった9×9マスの直交座標に置き換え,各部隊を敵味方40個の手駒に置き換える。これがモデル化だ。

 ゲームが取っつきやすい娯楽だったのは,戦場を将棋盤に置き換えるどころではないモデル化が行われていたからに尽きる。シンプルな要素の積み重ねがじきに肥大化してはいくものの,根幹は差して変わらない。それがスーパーファミコンまでの流れであり,32ビットCD-ROM機もその流れから抜け出せずにいる。

 それを,ニンテンドウ64は本当に変えてしまった。それまでに3Dのアクションゲームがまったく存在しないわけではなかったが,「スーパーマリオ64」をN64付属のコントローラで遊んで得られる感覚はかつてないものだった。

 そして,変化が大きいほどそれに対応できない人も多くなる。これは避けようのない事実だ。コントローラに象徴される任天堂の意気込みの強さに,かえってとっつきにくさを感じた人も少なくないだろう。

 結局,市場的にはN64は敗れる。


 しかし,アナログ入力そのものは時代の要請になりつつあった。先行するライバル機もこれに無関係ではいられなくなり,純正のアナログコントローラをリリースすることになるといったところで次回に続く。

■ 1月13日 ■  第7話,の巻

 枕。

 ネタだけ振っておいて見ないままというのもナニなので,インパクに行ってみたさ。確かにそれぞれのパビリオンサイトには面白いコンテンツもあるんだろーさ。でも,似たようなテーマでもっと充実した内容の個人サイトだってちょっと探せばあるよねぇ。

 パビリオンの数は思ったほど多くはないし,どこにどんなコンテンツがあるかを探すのも面倒。キーワード検索ったって,どんなキーワードが当たるかどうかもわからないのに‥‥ それなら,普通の検索エンジン使うでしょ?

 功績があるとしたら,WEB上のコンテンツが少しまとまって増えたというところかな。しかし,何度も訪れたくなるほどの魅力はない。これは個々のコンテンツじゃなくて,あくまで「インパク」というイベントの総体の話ね。

 WEBの持つ情報量がすでに博覧会なぞ及びもつかないレベルにあるんだし,ポータルサイトとして見たって Yahoo! でもあれば充分。つーかWEBにつながる環境にいて今さら Yahoo! でもないだろ?

 そもそも WEB 上のイベントを現実のイベントに見立てることに意味なんてありません。かえって巡回しにくくなるだけだ。

 ところでインパクの会期っていつまでなんだろう? 終わる頃に人口に膾炙することがあるかどうか。<無理に難しい日本語使ってみる


 さて,第7話である。

 前回取りあげたニンテンドウ64の発売とほぼ同時に,セガサターン向けの新しいコントローラがリリースされた。セガマルチコントローラ,通称「マルコン」である。

マルコン

 このコントローラは,サターン本体に標準添付されたことはないので本来ここで取りあげるべきではないかもしれないが,後の話への繋ぎとして重要な役割を担っているので例外的に取り扱うことにした。

 外見はその名の通り丸い形で,十字ボタンと6つボタンの構成はサターン標準コントローラとかわらない。特徴的なのは十字ボタンの上に配置されたアナログレバーと,裏面に回されたL/Rボタンがやはりアナログ化されたことである。

 L/Rボタンがアナログ化されたのは明らかにドライブゲームのアクセル/ブレーキに対応させる意味を持っており,いかにもアーケードのドライブゲームを自社の主要コンテンツと認識しているセガらしい設計と言える。

 アナログレバーは,他に適切な呼び方を思いつかないためレバーと言っているが,実際は半球状の操作部に指を乗せる突起が盛り上がったもので,この突起の直径がむやみに大きいためにアナログとしての可動範囲は意外なほど小さい。さらに組立て精度の問題で中央付近の遊びが大きく,操作性は64コントローラに比べてはるかに劣る。どうもこれは上下左右の微妙なコントロールに使うためというより,むしろデジタルの8方向ではない360゜の入力方向を持つコントローラと考えるのが適当なようだ。

 結果として,L/Rボタンに見られた工夫ほどにはドライブゲームに向かないコントローラとなってしまったのが惜しまれる。

 ともあれ,N64とタイミングを同じくしてセガもアナログコントローラを世に出した。「マリオ64」ほどの説得力はなかったにせよ,新機軸のアクションゲームである「ナイツ」とセットにすることでセガなりに可能性を見出そうとしていたのがこの時期だ。

 しかし,本体に標準添付されなかった悲しさで,マルコンはそれほど普及しなかった。ドライブゲームという活路があったにしても,すべてのユーザーにアナログコントローラの持つ可能性を示すには至らなかったというべきだろう。


 そしてプレイステーションだ。N64やサターンの動きを受けてかどうかはわからないが,ソニーもアナログコントローラをリリースした。しかしこれにはハード的な不具合があったらしく,店頭にはごく短期間しか姿を見せなかったようだ。正式に対応を謳ったソフトもおそらくない。

 プレステに本格的なアナログコントローラが添付されるのはN64やサターンに遅れること1年余,'97年冬の「グランツーリスモ」発売にあわせてのことだった。この時リリースされた廉価版PS(型番SCPH-7000)から標準添付されたのがこれ,「デュアルショック」だ。

デュアルショック

 例に違わずいかにもソニーらしい設計で,コンパクトな初代コントローラに2本のアナログレバーを追加して,おまけに振動子を2つも内蔵してしまった。「デュアルショック」の名の由来である。この2つの振動子の効果は絶大で,N64用の振動パックなどに比べても実に多様な振動パターンを生み出すことができる。

 アナログレバーの振り幅は大きめで,バネが非常に柔らかい。そう聞くと微妙な操作に向いているように思えるが,実際は柔らかすぎて入力が安定しづらいようだ。また,このレバーは垂直方向に押し込むことができ,これもボタンとして動作する。しかしこの機能に対応しているのは筆者の知る限り「サルゲッチュ」くらいのもので,これが出るまでは工作精度が悪くカチャカチャ言っているものだとばかり思っていた。

 なお,前述の初代アナログコントローラも,外見はデュアルショックと変わらない。振動子は1つだけ内蔵していたようだが詳細は不明。

 このデュアルショックは,さすがに本体に添付されただけあってマルコンよりもユーザーあたりの普及率は良かったと思われる。しかしやはり後発のコントローラであることに変わりはなく,対応ソフトの数から言うとあまり活用されたとはいえない。「デュアルショック対応(振動のみ)」と表記されたソフトがあまりに多いのが残念だ。

 下手をするとデュアルショック登場以降のドライブゲームでも,ナムコ製のネジコンには対応していてもデュアルショックのアナログ機能には対応していないケースが目立ち,標準添付コントローラとしての面目は丸つぶれだったと言わざるを得ない。左側のアナログレバーはそれでもまだマシな方で,右側のレバーに至っては存在意義すら疑われるほど活用されることはなかった。


 さて,今回取りあげた2つのアナログコントローラはいずれもハード本体に対して後発のコントローラである憂き目を味わった点で共通している。

 どちらも,アナログである必然性を持ったソフトに恵まれなかったという要因も無視できない。サターンには「ナイツ」とドライブゲームがあったがそれどまり,プレステに至っては1年以上後の「サルゲッチュ」の登場まで待たなくてはならず,ドライブゲームの定番としてはネジコンがすでに不動の地位を築いていた。

 ゲームメーカーとしてもアナログな操作系の導入については及び腰で,それがゲームの面白さにもたらす効果について確信が持てない状況ではなかっただろうか。事実,その後もデジタルで充分なゲームばかりがリリースされ続けることになった。それで誰も困らなかったことは,プレステが我が世の春を謳歌していることでも示されていた。


 最近,デジタルディバイドという言葉をよく耳にする。デジタル機器を使いこなせる世代と使いこなせない世代との間に生じる断絶を表す言葉だ。若い世代なら,親にビデオのタイマー予約をやらされたりした経験が必ずあるだろうが,そういった現象が今や社会的に起きているわけだ。

 まぁ,デジタルディバイドはここではあまり関係ない。ただ,これに近い現象がゲームの世界でも起こりつつある。

 ニンテンドウ64は前回にも強調したとおり,それまでのゲームとは異なる操作系をハードウェアレベルで強要し,新しいゲームの可能性を示そうと躍起になっていた。しかしそれは必然的に,ゲームに対する見かけのハードルを高くすることにもなってしまった。決して少なくない旧来のゲーマーたちが,N64 を受け容れることを拒んだのも否定しようのない事実だ。

 そして,同じくアナログコントローラであるデュアルショックやマルコンが登場しても,ゲームの趨勢はそれほど大きく変わらなかった。このことが,後(つまり現在)に尾を引くことになったのではないかと思うことがある。いわば,アナログディバイドとでも言うべき現象がそれだ。

 これについて論じる前に,現在に至るハードのコントローラについて語らなくてはならない。というところでまたも次回に続くのである。

■ 1月15日 ■  いんたーみ‥‥,の巻

 もぉええちゅーに>題名


 「ゴジラ×メガギラス G消滅作戦」観てきましたよ。

 去年はゴジラの造形がカッチョいいということだけで自分を納得させるのが精一杯だったけど,今年の映画は満足。多少の強引さはあれ,ストーリーは破綻してなかったし主人公もはっきりしてたし。

 敵役のメガギラスは「空の大怪獣ラドン」に登場したラドンの餌,メガヌロンが成虫になったという設定。リバイバル怪獣と言えなくもないが,まぁオリジナル怪獣だわな。古代トンボなのでいわゆる飛びモノだが,ゴジラと戦う様は意外なくらいに肉弾戦が多くていい感じ。怪しい光線ビカビカみたいのんだったらシラけてたところだ。

 ただ,吊り怪獣の宿命か,羽が「だら〜ん」として空気を叩いてるように見えないのだけはどうにかならんかったか。平成ラドンとかもひどかったよな。

 渋谷の水没シーンもかなりの力作。ちょっと水が透明すぎるんじゃないか? と思うが(去年の名古屋を見るまでもなく,都市が水没するとしたら絶対に泥水になる)要するに水中が見せたかったんだよな。

 渋谷といえば「ガメラ3」だが,アレとはまた別の形で都市破壊を表現してみましたというところ。これはこれでよし。

 前回,空撮の俯瞰映像でのゴジラと背景の合成がバレバレだったとの非難が多かったことに対するリベンジでもあるのだろー,今回はそういうアングルの絵がさらに多用されていたのも印象的。合成の出来も問題なかったんじゃないか。

 あとは主人公がゴジラの背中に乗るシーン,ゴジラ映画では史上初めてだな。グルッとまわってゴジラ全身まで引くまでのつなぎは結構シビれたよ。

 とまあ天晴れな映像が目白押しだったので,多少のツッコミ所には目をつぶろう。ただ,メガギラスの視点で見たゴジラの絵がフレーム落ちで表現されていたのは,意図的だったにしろ映像のクオリティが落ちて見えるのであまりよろしくなかったのではないか。意味が分かるまでは気になって仕方がなかったし,意味が分かってもその必然性に納得はできなかった。

 去年の「ミレニアム」よりは絶対面白いので,去年で懲りた客が今年観なくなってたりしていたら残念だなぁと思う。宣伝も足りない気がするなぁ。


 勢いでその「ゴジラ2000ミレニアム」のDVDと「ジュブナイル」を購入。それから復刻版「KONAMI GAME MUSIC vol.2」と。

 そいでもって「With You〜みつめていたい〜」(SS,NECi)を中古で。友人が狂ったようにハマってたりーの,茉森氏とギャルゲーを巡っていろいろ濃い話をしたりーのというところで興味が湧いたんだが‥‥

 ちょいと始めてみて,色々思うところはあるんだけどとりあえず置いとこう。まずは最後までやるしか。結構しんどいんですけど。

 さらに,やっと店頭に置いてあるのを発見したタミヤのフェラーリF1-2000をゲット。まだマクラーレンMP4-13が片付いていないので手はつけられないけどね。とりあえずパーツを眺めてニヤついてみる。

 なんか結構散財したなぁ。


 いつもの連載についてかんど氏と core_dump氏からツッコミ頂きました。アレに関してオンラインでツッコミ来たのは初めてですわ(苦笑

 内容については次回の更新時に反映させますので,まずはお礼まで。ありがとうございます。

■ 1月16日 ■  今日は主にF1の話,の巻

 昨日はさりげなくF1ページの方も更新しておいた。オフシーズンの間は例の特別企画の続きをやっていくことにしよう。スカパーの再放送にあわせて土日に更新つーことで。

 '97年を見ていて新鮮なのは,ハッキネンが完全に脇役だったこと。スタートからいい位置を走ってはいるのだが,主役はフェラーリとウィリアムズだったわけだ。マクラーレンが現在の West カラーになったのはこの年からで,カラーリングとしてはベストなカッコ良さだとは思っていたのだが,まさか今のような最強のイメージカラーとなるとは思いもしなかった。

 それもそのはず,この年はクルサードが何勝かしていたもののハッキネンはこの鈴鹿まで勝ち星なし。次のヨーロッパGPで '91年のデビュー以来初めての優勝を飾るのだが,それもシューマッハーのリタイアで自動的にチャンピオン獲得が決まったトップ走行中のヴィルヌーヴが,ゴールする直前にアクセルを緩めてミカに譲ってやったというのが本当のところだ。そういえばこの時,引退レースとなったベルガーがあわよくば自分がとばかりに割り込もうとしたのも印象深い。

 しかしこの優勝がターニングポイントとなり,マクラーレンはその後のオフのテストから絶好調。翌'98年開幕戦も結果的にクルサードに譲ってもらったとはいえレース序盤をリードする速さを見せ,第×次マクラーレン最強時代の幕開けとなるのだったというところから我がF1速報ページは始まっているわけだ。

 さて,そろそろ各チームから2001年仕様のニューマシンが発表される季節になってきた。すでにジャガーがいちはやく発表,BARも公式発表はまだだがすでにシェイクダウンテストの様子がメディアに流れている。

 見た目の大きな違いは規定によってフロントウィングの最低地上高が引き上げられたことで,なんとなくフロントが浮き上がったように見える。明らかにフロントのダウンフォースが減少しているはずで,おそらくアンダーステアの傾向が強まることだろう。オーバー気味のセッティングを好むシューマッハーやアレジなどは,もしかしたら苦労することになるのかもしれない。

 そのかわりと言っては何だが,マシンの全幅規定は現行の1800mmから'97年までの2000mmに戻された。コーナーでの運動性能はやや改善されるので,ちょっとはバトルが増えるんではなかろうか。

 今後の新車発表が楽しみで仕方がない。


 さて,コントローラー話番外編。ツッコミと前回までの話題へのフォローです。ついでに文体も変わる(笑

 まず,core_dumpさんからのメールから,アナログコントローラの「アナログ」表記に関して他になにかよい呼称がないかという意見がありました。

 これについては2ちゃんねるのデイトナスレッドなんかでも話題になったりして,確かに議論の対象になりやすいことだと思います。

 これに関するワタシの見解は以下の通り。

 たしかにアナログコントローラとはいえ,何bitかの分解能のデジタルデータを入力しているにすぎず,デジタル機器であることに間違いはありません。

 しかし,プレイヤーの立場から見れば,たとえばX方向の入力値が256段階あったとして116か117かなんてことを意識して入力しているわけではないんですよね。

 ですから,プレイヤー側の意識としてあれを「アナログ」と称することに,ワタシはなんのためらいもありません。他の呼称を考えるとしても,ムダに説明的になってしまうのは避けられないかと思いますがどうでしょう。

※1月17日パラグラフ修正


 かんどさんからはPS用アナログコントローラ(デュアルショックの先代)についての説明をいただきました。以下引用。

PSアナコンのL3・R3についてですが、初代アナコンと同時期に発売された「トバル2」が、このボタンを「無理に」使ってました。

(押すとかめはめ波みたいな「タメ」が発生、離すとかめはめ波発動という感じに。機械設計的に押してしまいやすいので、結果、技の暴発も起きやすいというゲーム的欠点に…)

あと、初代アナコンは、握りの部分が長く、L3・R3の上面が親指に合わせて陥没してまして、L2・R2に(中指が上に滑らないようにするのか何なのか知りませんが)突起がついてます。

 L3/R3というのが,左右アナログレバー(&それを押し込むボタン)のことですね。失念しておりました。

 デュアルショックについて補足しておくと,L2/R2ボタンには突起がないかわりに初代PSコントローラに比べてサイズが大きくなってますね。このことで中指のホールド位置がやや下げられるので,コントローラを保持しやすくなっていると思います。

 レバーの上面は,初代アナコンみたく陥没してたほうが良かったのになぁ‥‥ なぜ隆起させてしまったんでしょうね。

 次回はDCのコントローラの登場になるはずですが,いつになるかはわかりません。図を描かなくては‥‥

■ 1月17日 ■  6年,の巻

 どうも平成「ガメラ」は苦手だ。1作目は楽しんだが,2作3作と下るにつれて,なんだか観てて楽しめなくなってしまったのだ。何故だろうと考えてみた。

 まず,どんなに話を深刻に持っていったところで主役がカメだからなぁ,というのがある。そうだ,平成云々以前にオレはガメラという怪獣が好きじゃなかった(笑

 まぁそれは置いとくとしても。

 特に3で顕著なんだが,映像がリアルすぎるのが引っかかるらしい。リアルだからってのも違うな。何ていうか,破壊が徹底しすぎるというか,シャレになってないというか‥‥

 2の仙台消滅もそうだが,特に3の渋谷と京都。3においては物語が「ガメラによって家族を失った少女の怨念」というのがテーマだからわざとそうしたんだろうけど,怖いのよ映像が。

 国内の特撮としては最高レベルの映像なのはわかる。しかし,だからこそ描かれている生っぽさがいたたまれない。火球に呑まれて炎上する京都など特にそうだ。

 それもこれも,6年前の今日の経験があるからに違いない。

 思えば「平成ガメラ」の1は,震災の記憶がまだ新しい頃に制作されていて,映像表現的にもそれを踏まえたところがあったように思う。深夜の街を映したTVに「ガメラ情報は午前4時からお伝えします」というテロップが流れているのなんかは,震災以前には考えられなかったことだろう。

 リアルすぎてはいけないなんてことはなく,このへんは個人の許容値の差でしかないことは承知している。しかし,どんな怪獣映画もさすがにもう神戸を舞台にすることはできないんじゃないか。

 しかし,考えてみれば昭和29年の「ゴジラ」なんかはシャレになってなさ加減では「ガメラ」の比ではない。東京が焦土と化してから10年も経たずに,あれほどの破壊映像を作ってしまった円谷英二のタフさはいったい何だったんだろう。当時の世間の評判は? こればっかりは同時代に生きて戦争を経験していないとわからないことだろうが‥‥

 初めて「ゴジラ」第1作を観たのは浪人の頃で,その作りの真剣さにただ圧倒されて,それ以降今に至るゴジラ好きとなったわけだが,同じ無邪気さでガメラが好きになれないのは途中にあの震災を経験したせいなんだろうと思う。

 オレは大阪在住で,にゃぎ〜氏やきみづか氏ほどに直接的な被害にあったわけではないが,それでも会社にほど近いところに出来た仮設住宅がその後長きにわたって存続していたのも見ているし,何といってもあの火災は恐怖だった。

 そういう国の住人としては,USAゴジラの歩く振動に驚くニューヨーク市民の描写などは滑稽そのもので,エメリッヒ監督はきっと地震を知らないだろーと思ったものだ。

 しかし,経験者だからといって作品評価が同じになるものでもなく,実際神戸で命の危険に遭いながらも「ガメラ3」を絶賛している人も身近にいる。

 だからどうだ,という結論はない。

 ただ,「ゴジラ×メガギラス」の渋谷水没シーンを観て「この能天気さはいったいなんなんだろー」と「ガメラ3」の渋谷破壊に思いを馳せ,つらつら考えたことを書き留めてみただけだ。

 特撮にもいろいろあって,「誰も見たことのない映像を作りたい」という欲求と「完璧に何かを再現したい」という欲求が共存したりせめぎあったりしている。どちらが正しいというものではないが,その両方が高いレベルで融合してできた映像が楽しめなかった自分にちょっと戸惑っている。それだけのことだ。

 ともあれ,あの日から早6年が過ぎた。

 東京もヤバいと言われて久しい。せめて水だけは常に用意しとこう。これはマジでないと困ることだから。ペットボトルのストックは基本だぞ。


 昨日の日記,一部修正しました。論旨は変わってませんが。

■ 1月23日 ■  真・通せんぼジジイ,の巻

 おや,思ったより間があいてしまいましたな。

 トーチュウを毎日購読していると,パリダカの経過がつぶさにわかったりする。特にどこかの誰かに肩入れしているわけでもないのだが,最終日間近に起きた事件には唖然とさせられた。

 何が起きたって? ここ(with MOTO)を参照。

 あーなんつーかもうパリダカの,でもってFIAの権威失墜。いやFIAの権威なんてとうの昔にごにょごにょ(笑

 ま,このへんの不正がらみの優勝劇については,我らがマイケル君を応援してる限りあまり強いことは言えないんだが。'90年マカオ,そして'94年と'97年の最終戦で見せたダーティさとあまり変わらないからねェ。なんでオレ,シューマッハーの応援なんかしてるんだ? と時々思うことはある。ま,そのへんは全部折り込み済みってことで。


 今回の悪役ジャン・ルイ・シュレッサーだが,パリダカの過去2年の勝者という以外にも名が知られている。1988年,F1イタリアGPといえば,マクラーレンの年間全勝が阻まれたレースとして記憶と記録に残っているが,その張本人がまさにこの人。病欠したマンセルに代わってウィリアムズに乗ったシュレッサーくん,セナに周回遅れにされそうになったとき,抜かれ損ねて接触。セナはスピンアウト,リタイア。プロストもエンジンブローで消えたため,フェラーリが1-2フィニッシュを達成。折しもエンツォ・フェラーリが没して1ヶ月,フェラーリの聖地モンツァでかくも劇的な弔い合戦が展開されたわけでした,ちゃんちゃん。

 それにしても今回のシュレッサーの愚挙には「妖怪通せんぼジジイ」の名がよく似合う。

 これを言いだしたのは1989年,モナコGP実況中の古館伊知郎。当時リジエに乗っていたR・アルヌーが,彼を周回遅れにしようとしたプロストの行く手を阻んでセナのリードを結果的に助けたのを指してつけたあだ名だが,あれは古館一流のブラックユーモアというべきだろう。同じフランス人ドライバーとして,若い後輩に意地悪をしたという見解らしいが,言い掛かりともとれる物言いではあった。抜くのも抜かれるのも難しいモナコだったこともあるし。

 シュレッサーの行為は自分で認めているとおり悪意に基づくもので,そもそもはじめからレギュレーション違反とわかっていての行状だけに,弁護のしようもないだろう。

 これに比べたらマイケル君の疑惑のクラッシュなんかは,発作的な行いなのでまだ罪は軽い。'90年鈴鹿で故意にプロストを押し出したセナほどですらない。よっしゃ,マイケル君オーケー! (あかんやろ


 もひとつ余談。このシュレッサーの叔父も日本のF1ファンの記憶に残っている。

 1968年,ホンダF1挑戦第一期。ホンダ本社の現場を無視した意向で,技術的に未成熟のままむりやり投入された空冷F1マシンRA302に乗っていたのがジョー・シュレッサー。デビュー戦となったこの雨のレースで,コントロールを失ったRA302はクラッシュ,炎上。シュレッサーはそのまま帰らぬ人となったのだったという次第。

 うーん,なんか妙な因縁話ばっかりになってしまったなぁ。


 かんどさんの掲示板で面白そうな企画をやっているのだが,今日は時間切れ。次回に加わらせていただきたいと思います。

■ 1月24日 ■  2000年ゲームベスト10,の巻

 さて,おなじみCANDOPAGEさんの企画つーか呼びかけに応えるかたちで,ここ大和但馬屋でも2000年ゲームベスト10を挙げたいと思いまする。

 「去年にプレイしたなかで、比較的最近世に出された(1999年後半辺り〜現在くらい)と思われるゲームソフト」というのが対象とのことですが,とりあえず但馬屋的ローカルルールとして「去年の日記で言及したものに限る」というのを入れておきましょうか。大まかに篩にかけるものとして。


 まず,去年の日付で言及したものを機械的に挙げてみる。

 意外に多いと見るべきか,少ないとみるべきか。実際に遊んだタイトル数はもちろんこれよりも多い。

 この中から古いものなど条件に合わないものを除外して選ぶわけだが,ゲームの面白さはベクトルでもスカラーでもなく集合で語りたい昨今でもあるので1位〜10位というランキングでなく,10傑を選ぶという形式にさせていただく。

 結果は以下の通り。うーん,あまり意外性のない結果になってしまったなぁ。

クレイジータクシー(AC/DC,SEGA)
DC版のこれを遊んで,「面白い」と言わなかった人がいない。とっつきやすさ,爽快感,攻略して煮詰めていく楽しさ,攻略対象としても成立しているチュートリアル,オリジナルと性質が全く異なるマップの追加。文句の付けようがない。パッドも壊れる面白さ(笑
ジェットセットラジオ(DC,SEGA)
レールマニア狂喜。無限トリックのポイントを探すもよし。上手くなると自然に美しいプレイになるのは良くできたゲームの鉄則。90年代式コジャレスタイルの裏に隠されたノスタルジーに酔え。
シェンムー(DC,SEGA)
ゲーム的に面白くなるはずがない題材を,実際に作ってみたらやっぱり面白くなかったという例だが,やってみないとわからないことをやったというのはもしかしたら偉いことなのかもしれない。ゲームとしては最悪だが,街並み探索ソフトの極北。とりあえずフォークリフトの運転は上手くなれるかもしれない。心情的にここに入れざるを得なかったのはなんでだろう?
スペースチャンネル5(DC,SEGA)
DCが面白いハードだと思えるようになったのは,このゲームの功績かもしれない。画期的な「ゲージを睨む必要のないリズム系ゲーム」だが,その後フォロワーが出てこないのは難易度の設定に限界があるからか。そのせいもあって,独自性は極めて強い。他のゲームじゃ代わりにならないぜ?
罪と罰 地球の継承者(N64,Nintendo/TREASURE)
個人的にはトレジャーの最高作。この時期になってまだこれほどのゲームが現れてくるから,N64というハードは恐ろしい。ゲームとは本来難しいもの。エンディングとは努力の末に辿り着くもの。努力すれ。
技術水準も高い。練りに練られたバランスが心地いいが,最終面の横スクロールシーンのタルさがやっぱりトレジャー的悪癖か。
デッド・オア・アライブ2(DC,TECMO)
対戦格闘の,現状でのベストだと思う。しかしDC版の初回限定版のピクチャーGD-ROMはやめれ。売り方その他で品位が下がりまくっているが,ゲームのよさを買いたい。
東京バス案内(DCC,SEGA/FORTYFIVE)
街を走るゲームが数多くランクインしているが,これもそのひとつということになる。惜しむらくは六本木経由新宿行きの系統のバスが,現実には大江戸線の開通によりすでに廃止されてしまったこと。
時々,明らかにゲームオーバーにさせるために突っ込んでくる乗用車がいたりするのが鬱。車外視点の見づらさもどうにかならなかったものか。
風来のシレン2 鬼襲来!シレン城!!(N64,CHUN SOFT)
遠くのエンディングのためでなく,その瞬間を生きぬくのが楽しいRPG。漫然としたプレイが一切許されない厳しさ,しかしただ難易度が高いわけでもない。頭使え頭。あ,また剣燃やした‥‥
かくしてまた朝を迎える。
フェラーリF355チャレンジ(AC/DC,SEGA)
レースゲームが苦手という人でも苦手なりに納得してしまうほど説得力のある操縦性。サーキットをクルマで走るというのはこういうことだ。加速,減速,荷重移動の学習に最適。
Mr.ドリラー(AC/DC/PS/GBC,NAMCO)
個人的2000年度ベスト。ゲーメストいやアルカディア大賞がコレでよかったよ。
こういうゲームがコンスタントに出てくれればいいというのは高望みにすぎないが,これが突出して見える現状というのはある意味で不幸だ。図らずもゲーム全体の衰退を浮彫りにしてしまった問題作と言えなくもないかもしれない。考えすぎだが。
次点:デイトナUSA 2001(DC,SEGA)
基本が旧作のままなのであえて選外。「頭文字D」を観たあとに遊んだりすると燃えるかもしれない。ドリフトゲーとしてはこれが最高。タイムアタックよりも,美しいリプレイを作るために日夜走り続けてしまう。
新規に追加されたコースのレイアウトはイマイチ感が拭えないが,アーケード由来の3コースは全てのレースゲームの中でも一級品の楽しさ。どうでもいいがもっと売れて欲しい。
次点:ザンファイン(PS,SUCCESS)
ひとつくらいはプレステオリジナルソフトを入れとこう(笑 なぜか日記では言及したことがなかったのでベスト10入りは惜しくもならず。「敵を一瞬でさばく」という目的一直線のゲームデザインが潔い。潔すぎてやや深みに欠けるきらいはあるが,これくらいシンプルならそれもよし。
アーケードレベルの作品が新作で1,500円で供給されたことに喜びつつ,アーケードレベルだと今ではそれくらいの価値しかないのかと鬱になる。

 ざっと眺めて,嫌でもわかるのはDCと64ばっかりということ。これはCANDOPAGEの掲示板などで参加しておられる方々の結果を見てもあまり変わらない傾向だが,まさか皆が皆偏屈なマニアというわけでもあるまい。それにしてもタイトルがかなりカブっているので,あまり面白い結果にならなくて申し訳ないです。

 別にオレ自身PSが嫌いなわけではないが,なんせ2000年はDCのソフトばかり買っていた。1999年クリスマス商戦からのDCタイトルの充実ぶりに目を見張るものがあったのは否定しようのない事実。

 どんな後ろ指を指そうとかまわないが,オレに言えることは上に挙げたゲーム群がもしPSに載っていたらそれぞれ数倍以上の売り上げを記録していただろうし,それに匹敵するソフトをPS陣営が用意できなかったことが今の深刻なゲーム業界の沈没を招いた一因となったと言ってもいいということだ。

 というわけで,こんなん出ました。

■ 1月25日 ■  セガがが‥‥,の巻

 朝から調子は悪かったが,無理して仕事をしていたらそのうち椅子に座っていられなくなってきた。這々の体で(シャレになってないな)早退。腰が。

 しばらく寝そべっていたら動けるようにはなったが‥‥


 さて,なんつーか昨日あんなことを書いたのは今日のためだったかと思わず思った(変な日本語),「ドリームキャスト生産中止」報道。

 セガは否定のコメントを出してますな。

 PSOが高い評価を受けている今,みすみす将来を閉ざすような発表をするのはおかしいと思うし,たぶん生産中止の報道を流したのはそのへんがわかってない一般紙あたりじゃないのかな?

 当事者が否定したとしても,真実が含まれている可能性までは否定できないけどね。ついこないだセガと任天堂の合併話が出たりしたこともあるし,今セガはそういうネタになりやすい会社なんでしょー。

 というわけで,但馬屋的にあまり興味のある問題ではありません。

 ま,実際の問題がどーであれ,'99年のクリスマス商戦のラインナップの充実がDC最後の狂い咲きだと思っていたので,それから今までよく持ってるもんだとさえいえる。過去1年あまりのよさ加減から考えると,今消えるには惜しいハードだとは思うけどね。

 でも考えたらほとんどセガとカプコンのゲームだけで持ってるんだよなぁ。買ったソフトもほとんどこの2社のだし。

 昨日まとめ的に書いたことを受けて続けるとしたら,セガがメジャーハードにソフトを供給するようになるならそれはそれで大賛成。マイナーハードに埋もれて消えていくよりはるかにマシというもの。

 セガのソフト開発力がお山の大将にすぎなかったのかどうかが問われる部分でもあるが,過去1〜2年を見る限り心配はなさそーだ。

 面白いゲームで遊べりゃそれでいいのよ。


 久しぶりの禅鬼修羅元帥じゃなかった元締からは「PSだと「ガンパレードマーチ」が面白かったですが?ずんセンセ的にはどうなの?」とツッコミが。

 うーん,やってないからコメントできません,としか。一時期は巡回しているサイトがもうどいつもこいつも「GPM」ばっかりやりやがって,みたいな感じだったわけですが(汗

 ワタシが思うところの見る目に信頼がおける方々が絶賛しているわけですから,きっと面白いんだろうなぁ。

 例えば今回の企画の言い出しっぺであるCANDOさんの評が参考になると思います。

 そんだけ面白い面白い言われててなおワタシがやってない理由は,まぁジャンル的に食指が伸びないという点に尽きるです。日記のインデックスでも見ていただけるとわかるとおり,戦略系シミュに分類されるゲームには一切手を出してないもんですから。

 ツッコまれる前に予防線張っときますが,たとえDC用に発売されていたとしてもやってなかったと思います(笑

 そういや「ギレンの野望」さえやってないや。てな感じです。

■ 1月30日 ■  ふと見渡してみると,の巻

 なんかWEBが賑やかなので軽く追っかけてみた「偽春菜」問題。興味ある人は秀真伝冬眠日記からどうぞ。

 一通りことの顛末をなぞったり,「偽春菜」のなんたるかを知る友人から話を聞いたりして得た感想は「勝手にやっといて」てなもんだが,見解としては上のリンクで紹介されている全否定氏のコメントに近い。該当ブツの出来の良し悪しがどーであれ,本家にケンカ売ってるんだからケチをつけられても当然だし,当事者がそれに従っている以上,周囲がとやこう言える問題でもないはずだ。ま,いつものスタンスですわ。その上で気に掛かったことがあるので少々。

 個人的に「偽」作者氏の行動には何のシンパシーも感じないが,それより気になるのは周囲の「偽」側シンパの言説。何をどう曲解したらそうなるんだか,これを「銃夢」問題と同等に捉える輩が多いのに愕然とする。グタグタ説明するまでもなく,問題の質が根本から違うだろー?

 自分のサイトに「haruna」ディレクトリを作ったりするのは抗議のつもりかどうか知らないが,単なる火遊びの域を出ていないし。常識で考えればわかることだが,そんなもんが相手にされるわけはない。あの抗議文を読んでそんな風に解釈できるというのが不思議だ。

 「表現の自由」を云々するのもお門違い。この件で本家側が勝ったとしても,それは表現の自由を阻害することにはまったくならない。なぜなら,表現の自由を阻害してはならないのは公的権力だけだからだ。

 なにより,無自覚なシンパは「偽」作者氏に踊らされているかもしれないという可能性に気付くべきだと思うな。キャラとネタに惹かれただけで作者に同情してるような人は特にね。見たところ,「偽」作者氏は相当なキレ者だ。その立ち回り方は見事としか言いようがない。

 もちろん自覚して支援している人も多いだろうし,それに文句をつける筋合いはないけれど。

 アマチュア活動に商業資本が噛みついたという構図とその後の騒動の拡がり方としては,むしろ「ピカチュウ同人誌事件」に似た空気を感じたのだがどーか。噛みつかれた側(当事者ではなく「側」にいる人)が被害者意識剥き出しにして騒ぐところなんかが特にね。岡目八目を気取るつもりはないが,この手の問題を見るにつけ,やっぱりヒートアップすると見失うものってあると思うなぁ。

 こんな問題を取りあげたのは,アマチュア活動を支持するものとして,わざわざ自分たちの首を絞めるような行動や言説はもっと考えてからした方がいいんじゃないかと思ったからだ。

 同人的な活動っていうのは,活動している本人が気を付けていないとそのうち「ぷちっ」と潰されておしまいになりかねないからね。思想的にあえてそうしているのならまだしも,最近は無自覚な輩が目立ちすぎるような気がしてしかたがないのだ。

 対岸の火事として「もっとやれー」てな立場もアリなんだろうけどね。オレはそうはなれないですハイ。


 つまらないネタを追っかけてないでコントローラ話続けろ>自分